たぶん256階調

日記とメモ.

漂う/揺蕩う



「私」でありながら記憶の持続が難しい時間や時期は、どうも焦燥感に駆られたり擬似的な死を恐れているらしい。

ということを、自分が書いた記事を読んで把握した。


この時間帯は、記憶の引き出しをスムーズに開け閉めしやすい傾向にある。
ただ、感情は伴わない。
たとえば今は、どうして私が必死にあの記事を書いていたのか、理解が出来ない。




緩やかに擬似的な死へ向かう。
いいじゃないか、それで。
私は何も見たくないし知りたくないし感じたくない。
何よりこんな生活を投げ出したいと思っている。


欠落だらけの日々の積み重ね。
そんなものを人生と呼ぶのか?
ふざけているか、狂気の沙汰だ。




限りなく薄くなりたい。
私を認識することもなく、私が認識することもない。
私が認識されることも、それを認識することもない。


そんな世界を、私は望んでいる。